1952(=昭和27)年 4月  埼玉県立本庄高校男女共学化。実質共学は翌年度から。
              この年は男女別の校舎で授業。一部のクラブ活動は実質合同。
              演劇部、音楽部に人気が集まり部員は一挙に増加。
              信時潔作曲・混声合唱編曲付の新校歌制定。
              校歌発表を目指して音楽部(混声合唱団)結成。

             
(発表当日、山本金雄指揮「NHK世界の音楽合唱団」来訪)・影響大

1954(=昭和29)年 3月  本庄高校音楽部OBにより「柏グリークラブ」結成。

1954(=昭和29)年11月  本庄文学座公演『想い出を売る男』幕間に初舞台。



文学座幕間の初舞台。指揮は故鈴木勇司氏(1954年本庄西中)
ピアノの後に舞台装置が見える。写真提供:江原清吉氏

1955(=昭和30)年 1月  本庄市成人式で文学座/小澤舞踊研究所と共演。

1955(=昭和30)年 9月  天田一枝氏(四谷文子門下)を常任指揮者に迎える。

1956(=昭和31)年 1月  小池芳二郎氏(山田和男門下)を常任指揮者に迎える。

1956(=昭和31)年 5月  四谷文子/五十嵐喜芳両氏と『カルメン』第4幕を共演。

          伊勢崎市民合唱団と合同 伊勢崎市民会館
『本混番外地』参照

56年伊勢崎・柏グリー

小池先生の指揮で歌う柏グリークラブ(1956年・伊勢崎市民会館)

1956(=昭和31)年11月  埼玉県合唱連盟結成に参加。第1回合唱祭に出場。

1958(=昭和33)年 2月   本庄混声合唱団と改称。広く一般市民から団員を募集。

1958(=昭和33)年 5月   本庄市合唱連盟結成。第1回本庄市合唱祭を挙行。

1958(=昭和33)年11月  第1回定期演奏会 。前橋室内管弦楽団と共演。

1960(=昭和35)年 2月  小池氏辞任。団員指揮者・児玉久がバトンを引き継ぐ。

1960(=昭和35)年12月  第4回定期演奏会。組曲『山に祈る』(男声)が話題に。

1963(=昭和38)年10月  埼玉県合唱コンクール初参加で優勝(V3以後不参加)

1964(=昭和39)年 5月  本混創立10周年記念演奏会。

1964(=昭和39)年12月  フォスター没後100周年コンサート。

1966(=昭和41)年11月  第10回定期演奏会、以後演奏技術向上に全力をあげる。

1968(=昭和43)年11月  東京12チャンネル『町ぐるみワイドショー』 に出演。

               最優秀賞でトロフィーを持ち帰りビールで乾杯!
                
家庭用ビデオ発売直前の時代だった。録画が残っていないのが残念。

1969(=昭和44)年 5月  創立15周年記念第15回定期演奏会。

              ゲストに飯浦直哉氏指揮/本庄高校合唱団

              新町グライヒェン・コール、深谷混声合唱団

これから先は、「定期演奏会の記録」と「近況」をお読み下さい。ページ下段のワープゾーンを御利用になれます。



73年練習風景

演奏会直前、熱気のこもる練習(1973年・岩田幼稚園)栗原和夫氏撮影




  参考:『団塊の世代』〜本混はこんな時代を生きてきた

1947   第1回参議院選挙
     笠置シヅ子「東京ブギウギ」大流行
1948   帝銀事件
     美空ひばりデビュー
1949   下山、三鷹、松川事件
     湯川秀樹ノーベル物理学賞
    「フジヤマのトビウオ」(水泳の古橋)
1950   朝鮮戦争で特需景気
1953   テレビ放送開始
1954   
本庄混声合唱団の前身「柏グリークラブ」結成
1955   トランジスタラジオ発売
    「三種の神器」(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)

     映画『ここに泉あり』〜柏グリークラブに影響大 (下段記事参照)
1956   神武景気
    「もはや戦後ではない」
1958   フラフープ流行
     プロレスの力道山が国民的ヒーローに

     柏グリークラブ、本庄混声合唱団として再発足
     本混第1回演奏会 
1959  「ご成婚」中継でテレビ普及
     伊勢湾台風
1960  「60年安保闘争」「所得倍増計画」
1961  「現代っ子」「巨人・大鵬・卵焼き」
    〈マイカー時代始まる〉
1963   ケネディ米大統領暗殺
1964   東京オリンピック
     東海道新幹線開業

     本混第7回定期演奏会(フォスター没後100周年)
1966   ビートルズ来日
    「3C」(カー、クーラー、カラーテレビ)

    本混声第10回定期演奏会 大中恩『鬼の子のうた』
1967   ツイッギー来日、ミニスカート大流行
   〈「核家族」〉〈「一億総中流化」〉

    本混第11回定期演奏会 ロシア民謡組曲『囚人の歌』
    本混第12回定期演奏会 大中恩『ピアノ伴奏の五つの歌』
     16世紀イギリスのマドリガルとバレット

        
(この時代に早くも Dowland や Morley を歌っていた)
1968  全共闘結成
    いざなぎ景気
    3億円事件
    〈フォークソング・ブーム〉
1969  東大・安田講堂攻防戦
    アポロ11号、月面に着陸

    本混第14回定期演奏会 大中恩『熊の上の天使』清水脩『三つの俗歌』
    本混第15回定期演奏会 ブラームス『マリアの歌』多田武彦『雨』
1970  日本万国博覧会
    「よど号」ハイジャック事件
    三島由紀夫が割腹自決
   〈「モーレツからビューティフルへ」〉
   〈「アンノン族」〉
   
 本混第16回定期演奏会 清瀬保二『無名戦士』
     大中恩『日曜学校の頃』『愛の風船』多田武彦『中原中也の詩』

1972 浅間山荘事件
   「日本列島改造論」
   第二次ベビーブーム
    
本混第17回定期演奏会 いずみたく『にほんのうた』より9曲
    本混第18回定期演奏会 Palestrina『ミサ・ブレヴィス』

1973  第一次オイルショック
   
 本混第19回定期演奏会 大中恩『隠れ切支丹』ロシア民謡組曲『馭者の歌』
    本混第20回定期演奏会 小山章三『千曲川の水上を恋うる歌』
     大中恩『船に乗る日の近づいて』清瀬保二『冬のもてこし春だから』
1974  本混第21回定期演奏会 多田武彦『太海にて』大中恩『島よ』
    本混第22回定期演奏会 W. Byrd“Ego sum panis Vivus”
おそらく日本初演
     片岡良和『愛の泉』大中恩『ただそれだけのことなのに』
1975  本混第23回定期演奏会 大中恩『月と良寛』
     Monteverdi“恋人の墓に哭く”
 ルネサンス後期の高度な五声マドリガーレ 
1976  ロッキード事件
   「およげ!たいやきくん」大ヒット
    
本混第24回定期演奏会 石井歓『風紋』清水脩『智恵子抄巻末の歌六首』
1977  本混第25回定期演奏会 高田三郎『水のいのち』
                清水脩『抒情短曲四章』
1978  本混第26回定期演奏会 大中恩『風と花粉』『ピアノ伴奏の四つの歌』    
1979  第二次オイルショック
   「ウサギ小舎に住む働き中毒」
1980 
本混第27回定期演奏会 大中恩『津軽地方の五つの歌』『私の動物園』
              
1983  「おしん」
1984  グリコ・森永事件
1987  バブル経済・財テクブームに
1989  昭和から平成へ
    消費税導入
   「ベルリンの壁」崩壊
1991  この頃バブル経済終わる
1994  「価格破壊」「コギャル」
    コメ緊急輸入
    
本庄混声合唱団創立40周年記念コンサート
     大中恩『風の旅』 Palestrina : Domine, quando veneris etc.

1995  阪神淡路大震災
    地下鉄サリン事件
1996  「援助交際」
1997  「失楽園」(渡辺淳一)

  参考文献「昭和・平成家庭歴史年表」(河出書房新社)
  「20世紀に生まれたことば」(新潮社) 2001.5.14 朝日新聞夕刊より

 本庄混声合唱団の歴史は、まさに戦後史そのものと重なる。戦後の地方都市がどんな常態であったか、映画『ここに泉あり』(1955=昭和30・中央映画/松竹 監督:今井正 出演:岡田英次、小林桂樹、岸恵子、山田耕筰他)を御覧いただきたい。(ダマ宅にビデオがあります)冒頭、旧国鉄高崎駅前の風景が克明に描写されているが、あの貧困と雑踏、食うためになりふりかまわぬ人たち、柏グリーが誕生した時代の雰囲気が偲ばれる。校舎の壁は崩れ、窓ガラスは欠け落ち、コンサート会場となる窮屈な空間には何本もの柱が立っていて舞台との間を遮る。小学生はうすぎたない服装で目ばかりがギラギラ光っている。人々の生活は貧しく、おかずは胡瓜とトマトばかり。それでもみんな逞しく生きている。そんな中で音楽を志し、理想と現実のはざまに悩む若い芸術家たち。現代の若者には、まるで外国の風景、例えば戦火に荒らされたアフガニスタンを連想させるだろう。でも、昭和20年代の街はまさにこの通りだった。芸術や音楽に対する理解の低さも、いや、これは今でも大差ないか。重い楽器をかついで「移動音楽教室」のため山奥の分校まで出かける管弦楽団員、車なぞない。汽車は超満員で人々は窓から乗り降りする。運がよければ雨ざらしのトラックの荷台に便乗できるだけ。とうとう肝心の楽器まで質に入れて焼酎を飲んでしまう。柏グリー〜本庄混声合唱団初期の団員は、自分達の活動と映画の市民フィルハーモニーの姿を重ねて見ていた。皆、映画のモデルになった群馬交響楽団の「移動」を実際に小学校で聞いた世代だからである。(群響は埼玉県北部まで巡演していた)合唱団も山奥の分校を始めたくさんの小学校へ出かけて多くの子供たちと触れあった。初めて聞くナマのハーモニーに瞳を輝かせる子供たち。本混は彼等に「音楽を聞かせてあげに行った」のではない。彼等から本当の音楽の喜びを逆に学んだのである。群響もきっと同じだったに相違ない。自分たちの音楽をこんなに歓迎してくれる子供たちがいる。今もコンサートのプログラムに掲げられるモットー「音楽の喜びを全ての市民に」は、こうした経緯から生まれた。柏グリー結成の年、本庄市制スタート。信じられないかも知れないが、その頃、「柏」の由来である本庄高校のトイレの壁には戦闘機の機銃掃射の弾痕がまだ生々しく残っていたのである。経済復興、神武景気、安保闘争、ベトナム戦争、オリンピックに万博、中東の戦乱と民族紛争、高度成長とバブルの崩壊、激動の戦後史の中を本庄混声合唱団は生き続けてきた。漫然と好きな歌を歌っていただけではない。僕らにできる範囲の方法で世相に対しても発言しつつ、ミューズへのひたすらに純粋な信仰だけはいかに苦しくとも守り通して妥協しなかった。その意味で政治関係の行事には出演を固辞してきた。たとえその主張に共鳴できたとしても、本混の名前が選挙に利用されてはならないからである。団員の中から市会議院になられた方もあり、いくつかの党や会派は本混のために市が援助をするよう動いて下さった。コンサート会場に花環が届けられたことも多かった。それでも本混は政治活動・特に選挙とのかかわりを拒み続けてきた。多くの失礼はあったと思うが、それ故にこそ現在まで運動が続けられたことを御理解いただけたと自負している。本庄混声合唱団の歴史、その重みを知るが故に、それを閉じることは誰にも許されない。現在のわが合唱団を取り巻く情勢は、ある意味で戦後の混乱期より厳しい状態にと言えるのかも知れない。それでも本庄混声合唱団は歌い続ける。歌い続けることが、あの日、キラキラと輝く瞳で応援してくれた子供たちのに報いる唯一の道だと信じるからである。

            

80年埼玉県合唱祭

赤いブレザーは情熱のシンボル。1980年度埼玉県合唱連盟合唱祭(浦和市埼玉会館)

 本庄麓原会で活躍する画家・中村民夫氏のお話。「戦後の貧しかった時代、本庄は文化活動が盛んだったんだ。特に麓原会、文学座、本庄混声合唱団の三つは、早くから本当の芸術を志向していた、郷土が他に誇るべきグループだった。今、価値観が多様化してホンモノが見えにくくなっているが、地道な活動を続けているわれわれは、先進的な先輩の意志をついで頑張らなくては」納得、納得。なお、ダマさんはオタマジャクシに魂を奪われる以前は絵を描いていて、高校時代は現在の麓原会中心メンバー達といっしょに美術部員だった事実も意外に知られていないようです。本混から麓原会への転身組には岩田あんちゃん、千代田お兄ちゃんがいます。
 過去の輝かしい伝統を誇ると共に、そこにあぐらをかいていては進歩がなくなるのです。無差別テロ、長引く不景気、政治不信…と混迷が続く世の中だけに、いつまでも変わらぬほんものの「美」を求め続ける本庄混声合唱団は、一時の低迷などにメゲず、これからも歌い続けます。心から心へ呼びかける歌、次の世代に伝えなければならない歌、魂を慰める至高の響き・永遠の本混サウンドを求めて、練習を続けます。本混の姿勢に賛同する方、単純に「楽しそうだな」と思う方、「どんな奴等が歌ってるんだよ。ツラが見たいな」と考える方、どなたでも大歓迎です。どうぞ練習を見学にいらして下さい。暖かい御批判のついでに「ひとつ本混に力を貸してやるか」となったら、団員・指揮者一同、涙を流して感激するでしょう。(ビールの「洗礼式」もあります)



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 演奏会曲目記録『どこでもドア』

第1回〜第10回定期演奏会 第11回〜第20回定期演奏会
第21回〜第30回定期演奏会 第31回〜第40回定期演奏会
本混番外地(サマーコンサート他) 本混雑学事典(こぼれ話)


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ENTRANCE(藤岡教会白黒写真) 本庄混声合唱団プロフィール
本庄混声合唱団の歴史 本庄混声合唱団近況報告
団員募集(ぜひ御覧下さい) ダマさんの独り言
機関誌『たどぽうる』傑作選/1 ダマさんの独り言/2(準備中)



こちらにもたいへんお世話になっています。ぜひ御覧下さい。

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